ねむぺんぐらしの備忘録

ぽつりぽつりと、思ったことを綴るサブブログです✏︎

心の拠り所で在れることが嬉しい、親友への想い

こんにちは、ねむぺん暮らしの備忘録です。

 

先日、高校時代からの親友の結婚式に参列してきました。本当に素敵な式で、心があたたかくほぐされていくような時間でした。

 

彼女に対する想いを、忘れないようここに書き記しておきたいと思います。

 

彼女とは、高校1年生の頃出会いました。

天真爛漫で、ユーモアのある素敵な笑顔の彼女の周りには、いつも素敵な仲間や友人が居ました。人を幸せにするオーラ・雰囲気は、彼女の素敵な魅力の1つだと思っています。

 

そんな素敵な友人が多い彼女ですが、有難いことに私のことをとても大切に想ってくれていて、いつもかけがえのない親友だと言ってくれます。

高校時代は素敵な青春の思い出と常に隣に居る存在として共に過ごし、卒業後も場所は違えど大学そして社会人になっても定期的に交流を持ち、彼女は私にとってもかけがえのない大切な親友です。

 

彼女の考え方や生き方。そのものが彼女自身であり、真っ直ぐで誠実。とても心の綺麗な人です。人への感謝や思いやりを忘れず、私や私の身近な人のことまで大切に想ってくれる彼女は本当に尊敬に値する人物であり、私の憧れの姿でもあります。

 

詳細は伏せますが、彼女は中学時代からここ数年に至るまでとても辛く、悲しい苦しい思いをして過ごしてきました。そんな辛い状況の中、数年前のとある日彼女は今まで背負ってきた不安や悩みを私に打ち明けてくれました。

今まで彼女の苦悩に気付いてあげることのできなかった自分のやるせなさ、そして話を聞いてあげることしかできないもどかしさで彼女と一緒に涙した日を今でも鮮明に覚えています。

 

ですが、今回結婚式で彼女から預かった手紙には、

「彼女にとって、私(ねむぺん)が心の拠り所」や、「安心感があって、私(ねむぺん)という親友を持てたことが幸せ」だと書いてくれていました。

普段は明るく振舞う彼女は、悩みがなさそうなイメージを持たれがちです。

そんな彼女の弱い部分・もろい部分も、私に打ち明けてくれたこと。そして、心の拠り所だと思ってもらえていること。本当に嬉しく誇りに思います。

 

私には、彼女の話を聞いてその苦悩を想像しながら一緒に寄り添ってあげることしかできません。それでも、その行為が彼女の支えになっていると思うと、私も救われた思いになります。

 

彼女の唯一の兄弟であるお兄さんへあてた彼女の手紙。その手紙には、彼女のこれまでの苦労やお兄さんへの愛や感謝の気持ちが溢れていて、彼女らしい本当に素敵な手紙だと感じました。泣きそうになりながら読み上げる彼女の姿を見て、これまでの苦労を知っているからこそ、涙が止まりませんでした。

 

私にとって家族同然の彼女。

式当日は、大好きな新郎。そして友人や仲間。ご親族に囲まれて、本当に幸せそうな笑顔を見せてくれました。彼女にとって、本当に幸せな時間となったのではと思います。

 

彼女のこれからの人生が、ますます幸せで溢れますように。

これからはもっと、自分自身の人生をより豊かに大切に。大好きなパートナーと、笑顔溢れる時間が過ごせますように。

 

地元を離れた今、彼女の傍には居られませんがいつでも彼女のことを想っています。

結婚おめでとう、世界で1番幸せでいてください。

そしてこれからも、あなたが幸せに過ごしていく姿を見守らせてね。末永くお幸せに。

 

では、また。

他人に捉われず、自分の人生を自由に生きるためのヒント

こんばんは、ねむぺんぐらしの備忘録です。

前回は、『他人への心配は、自分自身へのSOSだった』について記事を書いています。是非。↓

nemupen2.hatenablog.jp

今回は、『自分の人生を自由に生きるための物事の捉え方・視点』について綴りたいと思います。



以前勤めていた職場に居た頃、私は文字の通り『他人に捉われて』生きていました。

私が「捉われていた」相手を、Aさんとします。

Aさんは、以前私が従事していた業務の後任の方でした。(私が、所属期間中に部署内での異動があった為。)

引継ぎ等で関わることが増え、引継ぎが終わったあともなかなか仕事に慣れないのか、事ある度にAさんは私を頼ってきました。本人が出来ないと言い張る業務(主に例月業務以外のイレギュラー対応等)を私が初めのうちは代行するようにしていましたが、これでは本来私が従事する業務に支障が出ると思い、徐々にAさん1人で業務を回せるようサポートに徹していました。

私なりに独自の引継書を作成し、手取り足取り教えたつもりでした。分からないところや不安な点も聞き出し、何度も何度も引継ぎをしました。それでもAさんは、「自発的に業務に従事すること」はありませんでした。

就業時間内に必要でない雑談ばかりをしたり、しきりに離席をしてしばらくの間戻ってこなかったり。(俗に言うサボりなのでしょうか。)

就業すべき時間内に仕事をしていない姿を見かける度、どうしてルールを守らないのだろう、何故守れないのだろう、と。また、日々の例月業務や他の業務が滞っているのでは。と常々Aさんの業務のことを気にしてしまったり、行動や言動に怒りの気持ちが湧いたりしていたのです。

これらを直接注意するのは角が立つので、今やっている業務はどうか、進捗はどうかと常々確認するようにしていました。

 

この私の『対応』こそが間違いだったと、今なら分かります。

 

そう、私は「Aさんの問題」を『自分自身の問題』として捉えてしまっていたのです。つまり、『Aさんが、自分の業務を予定通り遂行しようが、業務を遂行出来ずに滞って他人に迷惑をかけようが、それはAさん自身の問題であり、私の問題ではない。』ということ。

私の後任者ということもあり、Aさんが引き継ぐこととなった以前従事していた業務についてきちんと引き継がなければならないという私の使命感によって余計にAさんの行動・言動が気になっていたという面もあったと思います。

ですが、後任者であるAさんに業務が引き継がれた時点で私は必要な引継ぎを終えたらAさんに全ての責任を委ねるべきでした。

 

Aさんの仕事に対する態度についても同様の考え方で、本来それは『Aさんの問題』であり私が怒りの感情を抱くことも、気にすることもないのです。

 

では何故、人は『他人に捉われて』しまうのか。

それは、物事を捉える時。その問題や事象が『誰の問題か』ということを、きちんと理解出来ていないことが原因なのです。

これは、以前大ベストセラーとなった『嫌われる勇気』アドラー心理学の中にある『課題の分離』という考え方によるものです。以下、一部抜粋します。

 

哲人「われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題を他者の課題とを分離していく必要があるのです。」

嫌われる勇気 P.140より引用

 

哲人「誰の課題かを見分けられる方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。」

嫌われる勇気 P.141より引用

 

哲人「自分を変えることが出来るのは、自分しかいません。」

嫌われる勇気 P.143より引用

 

哲人「他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。これは具体的で、なおかつ対人関係の悩みを一変させる可能性を秘めた、アドラー心理学ならではの画期的な視点になります。」

嫌われる勇気 P.150より引用

 

この考え方は意識していても本当に難しく、特にこと『人間関係』においては最も難しい課題ではないかと考えています。

全ての課題について、白黒はっきりと分離してしまうこと。頭では理屈を分かっているような気がしますが、その考えは理性的ではなく、人間関係を構築する上ではリスクもあるのではないかと危惧してしまうというのが、今の私の本音です。

 

正直、いまだにこの考え方や心理学を本当の意味で『理解』することは難しいです。

 

よって、『自分の人生』を自由に生きる為の手段や考え方として、こういう考え方もあるのだなと知ること。それが、自由に生きやすくなる1つのヒントになるのではないかと思っています。

 

www.diamond.co.jp

 

今回も、最後までご覧いただきありがとうございました。次回もお楽しみに。

相手への心配は、自分自身へのSOSだった

こんばんは、ねむぺんぐらしの備忘録です。

前回、『幸せとは』をテーマに記事を書いています。是非。↓

nemupen2.hatenablog.jp

今回は、『相手への心配は、自分自身へのSOS』の記事を書いていきます。

 

先日、夫との会話でこんな出来事がありました。

出先で思わぬ人混みに出くわした際でした。私は人混みが苦手な夫を心配『したつもり』で、「ねむぺん夫、人凄いけど大丈夫?」と聞きました。

すると、夫は「僕は、大丈夫だよ。ねむぺん(私)こそ大丈夫?少ししんどいんでしょう。人混みから抜けて少し休もう。」と言われました。

 

そう、私自身は夫を心配して言った「つもり」の言葉。実は、本当は自分自身へのSOSの言葉だったんです。

以前、夫は前職の環境により、適応障害と診断された過去があります。

今でも、普段から出先や日々の生活で夫が体調が悪くなっていないかと、表情や様子から読み取ったり、声掛けを意識的にしながら『夫の心配』をよくしています。

今回もその一環で声掛けをしたつもりが、実は自分自身が『人混みによって体調が悪くなっている』ことに夫に言われるまで気付かなかったのです。

 

私は、自分自身の体調が悪い時にこそ人の心配をしてしまう節があるようで、今回のことをきっかけに「自分の考え方や行動の癖」に気付くことができました。

 

私は、普段から人のことを気遣う気持ちから本音や言いたいことを我慢してしまうことが多い傾向にあります。

相手への心配の声掛けを通して、本当は「自分自身のSOSサインに気付いてほしい。誰かに心配してほしい。」という深層心理が働いているのではないかと考え付きました。

 

そうして、この考えに至った時に腑に落ちるものがありました。

あぁ、私は誰かに心配してほしかったんだと。そんなやり方でしか、相手に伝えられない自分の不器用さ。でもこれが私なのだなぁと。

 

普段から、良く私のことを見てくれている夫だからこそ気付けた点だと思います。感謝感謝です。いつも、ありがとう夫。

これからはせめて1番近くに居る夫には、「自分の声にしっかりと耳を傾け」、「素直に自分の気持ちを伝える」ことを努力して徐々に出来るようになりたいと思っています。

 

相手への気遣い・心配りが出来ること。これは、素敵な事だと思っています。

だからこそ、同じく「自分自身」にも気遣い・心配りをきちんとしてあげたいと思います。そうやって、自分自身を見つめることで、きちんと『SOSサイン』に気付けるように。

 

皆さんも、自分の声に耳を傾けてみてください。自分の本音はどこにあるか分かるかもしれません。自分自身を守れるのは、自分だけ。

日ごろからの「メンタルケア」、大切にしていきたいですね。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

幸せとは、自分を大切にするということ

こんにちは、ねむぺん暮らしの備忘録です。



今回は『幸せ』をテーマに書いていきます。

Netflixで『今日もあなたに太陽を~精神科ナースのダイアリー~』という作品を観賞しています。自傷行為等、辛いシーンもありますが、鑑賞後には心にじわっと優しさが広がるそんなあたたかい物語が沢山収録されています。

www.netflix.com

この作品の、♯5「心の黄色信号」の回を見た際に心にぐっとくるものがあり皆さんに共有できたらと思います。

 

※こちらの記事はネタバレを含みますので、ご注意ください。※

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第5回のお話では、仕事と子育ての両立に苦しむ女性患者が登場します。彼女は、日々の忙しさの上に自己犠牲を働き、一過性の認知症症状を患います。

自分がそんな症状になったにも関わらず、彼女は仕事のことや自身の娘の心配をしているのです。彼女は忙しさを理由に入院を拒否しようとしますが、「このままでは大事な娘さんのことも忘れてしまいますよ。」と言われ、任意入院を決意します。

治療の一環として、担当医より「自叙伝」を書くよう勧められます。これは、幼少期から現在に至るまでの過去の重要な出来事を記していくものです。例えば、初恋、就職、結婚など。

重要なのは、出来事の流れを書くのではなく『感情』を重点に置くこと。その時に自分が抱いた感情を細かく記録すること。これを意識するように医師から言われます。

そして、次の診察時。自身が記録してきた『自叙伝』のノートを開き、否定的な感情を書いた部分に黄色マーカーを引いていきます。例えば、疎外感・申し訳なかった・辛かったなどささいな感情の言葉にも全てです。幼少期や昔には少なかった、黄色マーカーの色が現在に近づくにつれ、特に出産してから増えていることを知り、彼女は自分が苦労してきたのだということに気付きます。

結婚してから、常に家族や仕事が優先の生活となり時間が出来ても何をすべきか分からず自分の感情に無関心になり、分からなくなっていたのです。

娘の問題を、自分の問題のことのように捉え、娘と自分の人生を両方壊したように感じたり。

この治療は『自叙伝』を書くことで、自分の気持ちを客観的に知り、自分の心をを見る力が重要なのです。

『感情の筋肉を鍛える』つまり、心も、体と同様にトレーニングが必要なのだと担当医は伝えます。黄色マーカーがすべてなくなるように、治療していきましょうと。

その後、同じく子育てと仕事を両立しながらギリギリで頑張る看護師との会話の中で、私の心に響いた言葉があります。

それは、子供や家族に対して精一杯尽くして頑張らなくては、と、もう十分頑張っているにもかかわらずそう言う看護師に対して、『自分を大切にしないと、どんどん心が黄色信号になる。だから、よく考えて。自分が不幸なくせに人を幸せにできる?』というんです。その時、看護師と患者の彼女は2人して涙を流し心を通わせます。

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私も、自分の周りの人や大切な家族が幸せでいてほしい。

自分のことは後回しでいいから、大切な人たちが苦労したり辛い思いをせず心穏やかに、幸せにいてほしいといつも願っています。それが、私の幸せだと信じて生きてきました。

ですが、自分のことを後回しにしたり、犠牲にし続けたりすると、この患者の彼女のように自分の感情や気持ちが分からなくなり、大切なことや今の自分の幸せを見失ってしまう気がしたんです。

だから、まずは『自分を第一に大切にすること。』それが出来て初めて、他人を幸せに出来るのだと。そう。自己犠牲の上に、幸せは成り立たないのです。

 

この患者の彼女のように、自分の気持ちに蓋をしたり無視をせずにきちんと向き合って自分の感情をないがしろにすることがないように気を付けたいと思いました。

心の黄色信号に、自分が真っ先に気付けるように。常に自分の心を大切に保つことを心がけたいと思います。

 

皆さんも、自分の心を大切に保てていますか。自分を犠牲にしていませんか。自分の感情を見つめ直して理解すること。それが、今ある幸せや自身を大切にすることへの近道なのではないかと思います。

 

今回も最後までご覧くださり、ありがとうございました。

自尊心を高める、心の安全地帯でありたい

こんにちは、ねむぺんです。

前回は、『言葉の伝え方・受け取り方を考える』をテーマに記事を書いています。

是非。↓

nemupen2.hatenablog.jp

今回は、最近夫との会話の中で「自尊心」について考えたことを綴りたいと思います。

 

夫と私は性格が似ていることもあり、互いに考えていることや大切にしている価値観が近いんです。夫と過ごす時間は、ありのままの私を受け入れてもらえるので気を張ることもなくリラックスして居心地良く過ごすことができます。

家族や親しい友人。気心が知れている間柄や互いの性格を知っている人の前では心地よく過ごせる私たちですが、すべての人間関係においてそうとはいきません。

 

例えば、会社の人間関係。

夫の会社の人間関係は希薄であり、皆何を考えているのかよく分からないんだ、と夫はよく言います。

これは、どの人間関係にも言えることですが、人の気持ちや思っていることは本人にしか分かりません。それは重々承知の上で、私たちは相手からの評価・相手がどう思っているのかどうしても気になってしまうのです。

 

私は、人からの評価を気にします。(これは夫にも言えることですが。)自分は相手にとって役に立っているのだろうか、どのように評価されているのだろうか。常に不安で仕方ないのです。

 

自分のことを大切に出来ている人、自尊心が高められている人はこうは思わないのだろうと思います。仮に思ったとしても、相手がどう思っても仕方のないことだと割り切れるでしょう。

 

私や夫は、自分で自分を認めてあげることが苦手なのだろうと思います。特に夫は根が真面目な人なので、余計に自分に完璧を求めてしまうようで。

完璧な人間なんて居ないと分かっているのに、完璧であるべきだ、こうあるべきだと思ってしまうんです。

そうでないと不安だから。自信が持てないから。きちんと出来ている自分でないと、必要とされないのではないかと思ってしまうから。

 

とある日、私が話の流れでぽろりと「私なんて、何も出来ない人間だから。」と愚痴をこぼしてしまった時、夫はこう言ってくれました。

「そんなことないよ。いつも色々やってくれて感謝してるよ、ありがとう。自分(夫)はいつでもあなた(私)のことを全肯定するから。」と。

この言葉を聞いた時、心がふわっと軽くなったんです。

夫にとっては何気ない一言だったと思います。でも、この一言が私にとっての救いとなったんです。

自分で自分を認めてあげること・褒めてあげることが苦手だからこそ、自分が最も信頼している人からの言葉が救いになるのだと。

 

私も、温かい言葉をかけてくれた夫に対して「ありがとう。私も、あなた(夫)のことをいつでも全肯定するよ。」と返しました。

 

大切な人からの言葉で、自分を大切に出来るのだと。夫からのその言葉で前よりも少し、自分のことを好きになれる気がしました。そして、私も同じように夫や周りの大切な人に優しい救いの言葉をかけられる人になりたいと強く思ったのでした。

 

自尊心・自己肯定感を高めること、それはとても難しい。だからこそ、大切な人にとっての心の安全地帯になりたい。

自分の大切な人が不安に思うとき・自信がなくなってしまった時、あなたはありのままのあなたで十分。いつでも傍に居ると。そのままで、大丈夫と伝えてあげたい。

 

夫のように温かい「言葉」を選んで、相手に届けられる人でありたいと思います。

きっと、そんな相手や居場所があれば少しずつ自分を認めてあげられたり、自分のことを好きになることができるはず。そして、その積み重ねが自尊心を高めることに繋がるのではないかなと願っています。

 

今回はここまで、最後までご覧いただきありがとうございました。

 

おまけ

最近のお出かけで撮った、すすきの写真お気に入りです。すっかり季節も冬に近づきましたね。皆様ご自愛ください。

言葉の伝え方・受け取り方を考える

こんにちは、ねむぺんサブブログです。

前回は、季節や天気の香りの話について書いています。是非。

nemupen2.hatenablog.jp

 

今回は、言葉をテーマにして少し書いていこうと思います。

 

言葉って、簡単なようで難しい。

伝えたいことが相手に真っ直ぐと伝わる時もあれば、言葉の意がきちんと相手に伝わっていないような気がして、もどかしい気持ちになることもありますよね。逆に、相手の発した言葉がそのままの意で受け入れられなかったり、受け取り方が分からず戸惑ってしまうことも。

 

言葉の伝え方・受け止め方は、伝える側や受け取る側のその時の自身そして相手のメンタル状況、その場の環境や状況、相手との関係性で変わってくると思うんです。

 

信頼関係があるからこそ、伝わる。受け取れる。

子供の頃は分からなかった親や大人たちからの指導や厳しい言葉。今になって、愛が故の言葉なのだと感じます。(一概に全てがそうだとは言えませんが。)

 

最近少し嫌悪感を抱く出来事があって、言葉の伝え方や受け止め方について再度考える機会がありました。

相手は、敢えて言わなくてもいい言葉や私が気にするような言い方や言い回しで話をしてきました。何度か気にしないようにしようと思い、受け流したりスルーしましたがしつこく何度も伝えてきました。以前から、この人との会話の中で違和感を感じることは多々ありましたが今回は特にその違和感をひしひしと感じたのでした。

私の反応を見ようと敢えてこの言葉を選んでいるのか。それとも悪意はなくこのような言葉選びになっているのか、どちらにしてもとても悲しい気持ちになりました。

 

事実かどうかはさておきもしも相手が悪意なく選んでいるのだとして、このような言葉選びになってしまう背景には何があるのだろうと考えました。

相手は今ストレスにさらされていて、鬱憤を晴らす為にこのような言葉選びになってしまったのかな。もともと嫌みな言い方が癖で、相手に言葉を伝えることが苦手で、悪気なく相手に嫌悪感を抱かせてしまう言葉選びになってしまうのかな。幼少期や物心を付いた頃からの環境(周りの大人や付き合ってきた人間関係等)が原因でそのような言葉選びをするようになってしまったのかな。等。

 

仮に上記のように考えたとして相手との今までの会話を思い返した時、このような言葉のやり取りしか出来ないようになってしまったであろう相手に対して、気の毒で可哀相な人だと感じました。

 

性質や性格上、相手からの言葉ひとつで一喜一憂してしまう私。

時に相手の言葉を深読みしすぎて、暗にこういうことを言っているのでは?と懐疑的になったり。相手からの賞賛の言葉をそのまま受け止められなかったり。自分のメンタル面が安定していない時、夫や自分に近しい・大切な人に八つ当たりするような言い方や本意ではない言葉選びをしてしまったり。

逆に、信頼している人や尊敬している相手からの言葉を真っ直ぐ受け入れられたときは、人一倍有難く、嬉しく感じることが出来る性質も持ち合わせています。これは、私の良さであり長所でもあると自負しています。

 

人間は完璧ではありません。誰しもが、言葉の伝え方や受け取り方を時に間違えることはあります。だからこそ、普段からの相手との会話の中で感謝や思いやりの言葉を意識して伝えること。相手の気持ちに寄り添って考えて、発言すること。大切な人からの言葉を真っ直ぐ受け止められる心の余裕を持つこと。私は言葉への意識掛けとして、このことをいつも心に留めています。

 

「相手の気持ちに寄り添う」ということが、本当の意味でとても難しいことは分かっています。ですが、これを考えることをやめてはいけないと思っています。

人間関係を構築する上で、大切であり必要な「言葉」。毎日の言葉の積み重ねが、相手との信頼関係を築いていきます。相手への思いやりを持った言葉選びが出来る人間でありたいと強く感じます。

自分にとって近しい人ほど、こういった大切なことを蔑ろにしてしまいがちです。まずは自分の家族・愛する人・大切な人達へ掛ける言葉を今一度見直したいですね。

皆さんは、言葉の伝え方・受け取り方についてどう考えますか。ご意見聞かせていただけると嬉しいです。

昨年夫と見た京都の紅葉🍁もうすぐ紅葉ですね^^

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。ではでは。

 

季節で香りを感じる、心を救ってくれた花の香り

こんにちは、ねむぺんです。

こちら、ねむぺん日和のサブブログとなっています。

 

最近、ブログを書くことに義務感を感じてしまっていて心から楽しめず、なかなか書く気が起こりません。メンタル面も少しブレてしまってなんだか心がざわざわする日々。

もう少しラフにブログに向き合いたいと思い、不定期ですがこちらのブログを書いてみることにします。

 

最近、やっと涼しくなってきましたね。

日中はまだまだ日差しが強いですが、朝や夕方から夜にかけては少し肌寒いくらい。

秋になると、近所を歩いていると私の大好きな『金木犀』の香りがふわっと香ります。

 

皆さんは天気や季節の香り等、感じますか。

雨が降る前に感じる土っぽい匂い、そして雨が止んだ後の濡れたアスファルトの匂い。

晴れの日は、洗濯物を取り込むときのお日様の少し香ばしいようないい香り。

 

春は、ポカポカなお日様といろいろなお花の香り。夏は、緑や木の匂いを感じます。そして、大好きな秋『金木犀』の魅力的な香り。冬は、ツンとした透き通った空気の香り。

 

天候や季節に応じて、なんとなく感じられるこの香りって全員が感じられるものではないんだそう。夫に、『雨が降りそうな匂いがするね。』と話した時、『そう?なんでわかるの?』と言われました。

 

俗に言うHSP(繊細な気質を持っている人の総称)さんが、こういった香りの変化を感じやすいそう。

HSP気質を持っていると、感じなくても良い相手の気持ちを察してしまったり、相手ファーストで物事を考えてしまって、気疲れしてしまうことが多かったり。

 

HSP気質の人が持っているマイナス面ばかりに目が行きがちですが、感受性が豊かだからこそ、季節や天気の香りを楽しむことが出来るんですね。

こんな素敵な一面もあると知った時、少し心が楽になりました。

 

こういった季節の香りを楽しみながら、日々を過ごせたら素敵ですよね。香りって、癒し効果があると思うんです。

 

中でもお花は、見た目も香りも良くて本当に癒されます。私が数年前に、心の病となった時癒しとなったのが『お花の香り』でした。そのお話を少し。

 

数年前、前職の会社でメンタルを病んで職場に行けなくなり、人と会うのが怖い、誰とも会いたくない、今の自分を他人に見られて幻滅されてしまうのが怖い・嫌だと引きこもって自己嫌悪に陥っていたその頃、母が気晴らしになればと近くのバラ園に連れ出してくれました。

 

バラ園に入った時に感じた薔薇の香り、景色。本当に綺麗で、涙が出そうになりました。あの時の景色が、私の荒んだ心をほぐして癒してくれました。今でも鮮明に覚えているほど本当に綺麗なものでした。

 

それまで私にとって、『お花』は、庭や公園に咲いている物または送別の品やプレゼントとして渡すもの。であり、日常で気にしたことがありませんでした。

この日から、私にとって『お花』は癒しであり、心の支えとなっています。

 

季節ごとに咲く綺麗な花を眺めて、あの日のことをたまに思い出します。あの時、見た薔薇の景色はきっと一生忘れることはないでしょう。

 

私の支えになっているお花と香りのお話でした。

 

こちらは、近所を散歩しているときに見かけた金木犀です。

 

深呼吸して、息を吸ってみると季節の香りが感じられるかもしれません。

忙しい日々の中でも、こういった季節や天気を感じられる時間があればもっと大切なことに気付けるのかもしれませんね。

 

ではでは、また次回。